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横浜地方裁判所 昭和62年(ワ)2095号 判決 1991年1月31日

原告

武藤正雄

右訴訟代理人弁護士

織裳修

遠矢登

被告

株式会社佐藤商事

右代表者代表取締役

佐藤隆昌

右訴訟代理人弁護士

佐久間哲雄

若林律夫

右訴訟復代理人弁護士

石井夢一

主文

原告の主位的及び予備的請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  (主位的請求) 被告は原告に対し、別紙物件目録一記載の土地(本件土地)についての横浜地方法務局昭和六二年七月一五日受付第五四六五二号所有権移転登記の、同目録二記載の建物(本件建物)についての同法務局同日受付第五四六五三号所有権移転登記(以上を一括して、本件所有権移転登記)の各抹消登記手続をせよ。

2  (予備的請求) 被告は原告に対し、金二億八〇八九万五〇〇〇円及びこれに対する昭和六二年七月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第二項につき仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  本件売買契約

本件土地建物は原告の所有であったところ、原告は、昭和六二年七月一日、土屋修(土屋)との間において、原告を売主、土屋を買主とし、代金四億四五〇〇万円で本件土地建物を売買する旨の契約(本件売買契約)を締結した(ただし、後記のとおり、原告は、予備的に、被告が本件売買契約の買主であると主張する。)。

2  心裡留保

しかしながら、本件売買契約における原告の売渡の意思表示は、原告において、土屋に対して本件土地建物を売り渡す真意がないのにかかわらず、それを知りつつ売渡の意思があるかのように表示した心裡留保によるものであり、かつ、買主の土屋は、原告の右意思表示が原告の真意でないことを知っていたか又は容易に知ることができたものであるから、民法九三条但書により無効なものである。

3  虚偽表示

また、本件売買契約は、原告と土屋との間で本件土地建物を売買する意思がないのにその意思があるかのように通謀のうえ仮装してなした虚偽表示によるものであるから、民法九四条一項により無効なものである。

4  詐欺

(1) また、原告の前記売渡の意思表示は詐欺によるものでもある。すなわち、原告は、昭和六二年四月頃から本件土地建物を代金八億円位で売却すべく買主を探していたところ、土屋は、原告に右売却の意図があることを知るや、本件土地建物を時価の半額近い代金四億四五〇〇万円で騙取しようと企て、原告に対し、同年六月初旬頃、再三にわたり、「代金七億一〇〇〇万円でこの物件(本件土地建物の意)を買ってくれる買主がいるから、売買が成立したら私に謝礼として三五〇〇万円、仲間の同業者鈴木登に二〇〇〇万円支払って欲しい。また、七億一〇〇〇万円全額を表に出したのではほとんど税金でもっていかれてしまうから、とりあえず形だけ私を買主にして、表向きの代金は四億五〇〇〇万円にした方が良い。私の方で税金はかぶるから、一切あなたに負担はかけない。」旨言葉巧みに申し向け、代金として七億一〇〇〇万円の支払を受けられるものと欺罔し、その旨誤信させ、よって、原告をして売渡の意思表示をさせたものである。

(2) 原告は土屋に対し、昭和六二年七月二八日到達の書面をもって、詐欺を理由にして本件売買契約における原告の売渡の意思表示を取り消す旨の意思表示をした。

5  要素の錯誤

さらにまた、原告は、本件土地建物の買主が被告で、代金が七億一〇〇〇万円であると信じ、その旨誤信して前記売渡の意思表示をしたものであり、土屋が買主で、代金がそれより大幅に少ない四億五〇〇〇万円にすぎないのであれば本件土地建物を売り渡す意思がなかったものであるから、原告の右意思表示はその要素に錯誤があったことにより、無効なものである。

6  本件所有権移転登記

被告は、本件土地建物について、昭和六二年七月一五日付をもって、同日売買を原因とする原告からの本件所有権移転登記を経由している。

7  (予備的請求の原因) 原被告間の売買

仮に主位的請求の原因事実が認められないとしても、原告は被告に対し、昭和六二年七月一日、代金七億一〇〇〇万円で本件土地建物を売り渡した。

8  結語

よって、原告は被告に対し、主位的に所有権に基づき本件所有権移転登記の抹消登記手続を、予備的に売買残代金二億八〇八九万五〇〇〇円及びこれに対する支払期日以降である昭和六二年七月一五日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実は認める。

2  同2の事実は否認ないし不知。

3  同3の事実は否認ないし不知。

4(1)  同4(1)の事実は否認ないし不知。

(2)  同(2)の事実は不知。

5  同5の事実は否認ないし不知。

6  同6の事実は認める。

7  同7の事実は否認する。

原告から本件土地建物を買い受けた買主は、被告ではなく、土屋である。

三  抗弁

1  土屋と被告間の売買

被告は、本件売買契約が締結されたのちの昭和六二年七月九日、土屋から代金五億六〇〇〇万円で本件土地建物を買い受け、同月一五日、中間省略の方法により、同日売買を原因とする原告からの本件所有権移転登記を経由した。

2  心裡留保等に対する被告の善意

仮に原告の売渡の意思表示が原告の心裡留保によるもの又は土屋との通謀虚偽表示によるものであり、あるいは土屋の詐欺によるものであったとしても、被告は土屋との前記売買当時、以上のような事情を知らず、その点について善意であり、かつ、知らないことに過失もなかった。

3  錯誤についての原告の重大な過失

仮に原告の売渡の意思表示に要素の錯誤があったとしても、原告は、土屋との本件売買契約の締結に至る過程において、被告に対し、買主が誰であるとか、代金額がいくらであるとかを確認したことがなく、また昭和六二年七月一五日における代金の授受等がなされた際、取引の場所に被告も同席していたのに、土屋から、額面金額四億二四一〇万五〇〇〇円の預金小切手を漫然受け取って、同人に対し領収証を交付し、売買取引の決済をしたものであるから、錯誤について原告には重大な過失があった。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1のうち被告が本件所有権移転登記を経由したことは認めるが、その余の事実は不知。

2  同2の事実は否認する。

被告は、原告の本件土地建物希望売価が八億円であることを知っていたものであり、それを原告が四億四五〇〇万円にまで値下げする筈がなく、仮に原告の意思表示が心裡留保又は虚偽表示あるいは詐欺によるものであることを知らなかったとしても、その点について過失があり、第三者として保護されない。

3  同3の事実は否認する。

第三  証拠<省略>

理由

一争いのない事実

本件土地建物が原告の所有であったこと及び被告が昭和六二年七月一五日本件土地建物について、同日売買を原因とする原告からの本件所有権移転登記を経由したことはいずれも当事者間に争いがない。

二本件売買契約の成否

証拠(<省略>)によれば、原告が、昭和六二年七月一日、土屋との間において、原告を売主、土屋を買主とし、代金四億四五〇〇万円で本件土地建物を売買する旨の本件売買契約を締結したとの事実を認めることができる(この点に関する主位的請求の原因事実は一応争いないが、原告は、予備的請求の原因でこれと異なる主張をしているので、証拠によって認定する。)。

三心裡留保、虚偽表示、詐欺、錯誤の存否

証拠(<省略>)を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、

1  原告(平成元年一〇月一九日の尋問当時五二歳)は、肩書住所にある自宅兼事務所で居住のかたわら会社を経営している者であるが、昭和六〇年九月、更地であった本件土地を代金一億〇六五〇万円位で買い受け、道路に面した崖地状部分の擁壁を撤去し整地する工事をしたのち、昭和六〇年一〇月、賃貸を目的にして、店舗九戸、住戸八戸の間取りを有する本件建物を工事代金二億四〇〇〇万円位で建築し、建築完成後、一部に賃借人が入居した。

2  原告は、その後まもない昭和六二年四月、老朽化した前記自宅兼事務所の建物を新築ビルに建て替える資金を作るため、本件土地建物の売却を決心し、その頃、不動産業者など数社に希望売価八億円で売却の媒介を依頼し買主を探すようになったものであり、本件土地建物を売却したときに得られる見込みの譲渡所得に対する課税について、当初、特定の事業用資産の買換えの場合の特例(租税特別措置法三七条)の優遇措置の適用を受けられるものと思っていたところ、しばらくして右特例の適用を受けられず、短期譲渡所得として高率の税金が課せられることが必至であることが判明し、かくては本件土地建物を高価額で他に譲渡しても、納税後の純利益が大幅に減少することになるので苦慮し、十数年前からの知合いで、原告の前記自宅兼事務所にしばしば出入りしていた金融ブローカーの土屋に事情を話して相談した。

3  右相談をもちかけられた土屋は、原告が苦慮しているのに乗じ、自己が形式上原告から本件土地建物を買い受けたことにしたうえ、それを他に転売し、原告に引き渡すべき転売代金につき、その一部を原告に引き渡さないで騙取しようと企て、謝礼を除き、その余の転売代金のうち一部を原告に引き渡す意思がないのに転売代金全部を引き渡す意思があるかのように装い、原告に対し、「本件土地建物を代金七億一〇〇〇万円で買ってくれる買主がいる。自分が表向きの代金四億五〇〇〇万円位で本件土地建物を買ったことにし、転売による高額の税金(所得税、住民税)は、自分が負担する。それで、第三者に転売できたら、謝礼として五五〇〇万円を支払って欲しい。こうすれば、右謝礼を差引いても表面に出ない裏金が一億九〇〇〇万円位、原告の手に入ることになる。」などと再三にわたり言葉巧みに申し向けた。

4  これに対し、原告は、土屋の右言に応じ、土屋に対して表向きの代金四億五〇〇〇万円位で本件土地建物を売ったことにするとともに土屋から第三者に対する転売代金が七億一〇〇〇万円であり、右転売代金全額を取得できるならば、土屋の要求している謝礼五五〇〇万円の支払を要するのを別にして、表面に出ない一億九〇〇〇万円位の裏金を取得することができ、本件土地建物の譲渡に伴う税負担を、不正にであるが、大幅に免れることができることになると考え、土屋の右言を信じ、土屋から転売代金全額の引渡を受けられるものと誤信した末、土屋の申し出を承諾し、さらに話合を続けたのち、昭和六二年七月一日、表向きの代金を四億四五〇〇万円とする本件売買契約を仮装して締結し、その旨の土地付建物売買契約書(甲六)を作成した。

土屋は、本件売買契約が架空のものであり、転売代金を原告に引き渡すことになったので、原告との間で、転売代金は三浦信用金庫横浜支店の土屋名義の預金口座に振り込むようにすることを約し、右預金通帳及び取引印鑑を原告に預けた。

5  その後、土屋は、昭和六二年七月九日、被告に対し、本件土地建物を、原告との前記合意に反して勝手に売価を下げ、代金五億六〇〇〇万円で売り渡し(乙一の土地付建物売買契約書の作成日付は同月二日になっているが、実際に作成されたのは同月七日であり、また、同契約書記載の代金七億一〇〇〇万円は土屋の要求により形式上記載されたものにすぎない。)、しかも、同月一六日までに現金及び小切手で合計五億四〇〇〇万円の支払を受けた(残金二〇〇〇万円については、右売買契約締結後、原被告間に本件紛争が生じたので、土屋と被告との話合により、支払が留保された。)のに、そのうち、賃借人が原告に預託していて被告がその返還債務を承継した保証金相当額が一五八九万五〇〇〇円あるのを別にして、四億三九一〇万五〇〇〇円(右保証金相当額を含めると四億五五〇〇万円)を引き渡したのみで、その余の差額八五〇〇万円を原告に引き渡さず、騙取し、所在をくらました。

そうして、以上の事実によれば、本件売買契約における原告の売渡の意思表示は、土屋の詐欺により、原告との間で買主になる土屋が被告に転売する転売代金が七億一〇〇〇万円であり、土屋に対する謝礼の負担があるのを別にして、右金額全額の引渡を受け、取得できるものであることを表示して、その旨意思表示の重要部分を誤信した結果、譲渡所得にかかる税務対策上、土屋との通謀により仮装してなしたものであったとの事実を認めることができる(心裡留保によるものであるとの事実は認められない。)。

そして、証拠(<省略>)によれば、請求の原因5(2)の事実(取消の意思表示)を認めることができる。

四被告の地位等

被告が昭和六二年七月九日土屋から代金五億六〇〇〇万円で本件土地建物を買い受ける旨約したことは前記三認定のとおりであり、そして、被告が本件土地建物について本件所有権移転登記を経由していることは当事者間に争いがないものであるから、被告は、前記虚偽表示ないし詐欺による原告の売渡の意思表示によって生じた法律関係について新たな法律上の利害関係を取得した者であり、善意であるかどうかは次に検討するとして、民法九四条二項、九六条三項にいう第三者にあたるものということができる。

次に、証拠(<省略>)によれば、次の事実が認められる。すなわち、

1  被告会社代表取締役の佐藤隆昌(佐藤)は、昭和六二年七月二〇日、当時神奈川県の宅地建物取引業保証協会会員ジャパンエステート(同社は正確には有限会社ジャパンエステートであり、同県知事の免許は昭和六一年一〇月五日付で期間満了により消滅していた。)の営業部員を自称していた不動産ブローカーの鈴木登(鈴木)から、「格安の売りビルがあるので買わないか。表面上の代金は七億一〇〇〇万円にするが、実際の代金は五億五〇〇〇万円である。」などと本件土地建物の買受方をすすめられ、現地に見に行くことにした。

鈴木は、その少し前頃、土屋から本件土地建物売買の仲介を頼まれていた不動産ブローカーの島田東根(島田)から、「土屋作成の「物件案内」と題する広告用のメモ(乙五)には売価が七億五〇〇〇万円(なお、同メモには大手信託銀行等に一般委任し、八億円にて仲介に出してある旨付記されている。)になっているが、五億五〇〇〇万円の代金で買える。ただし、売買契約書上の代金の記載は七億一〇〇〇万円にして欲しい。」と言われ、本件土地建物の買主の紹介を求められたので、顔見知りで不動産取引業を営む被告会社代表取締役の佐藤にその事情を話して買受方をすすめたものであった。佐藤は、右メモの売価七億五〇〇〇万円の記載については、従前七億五〇〇〇万円で売りに出されていたことによる記述と理解した。

2  佐藤は、同月二二日頃、鈴木と一緒に現地に行って本件土地建物を見た結果、物件が気に入り、鈴木に対し、「値段さえ合えば、買う。」旨返事し、売主との売買交渉を進めるように求めた。佐藤は、その頃までに本件土地建物の登記簿謄本、前記物件案内と題するメモ、原告が売却の一般媒介を依頼していた株式会社三井信託銀行横浜支店不動産部作成の業者向け広告(甲三。ただし、売主名の記載はない。)等の資料を見て、登記簿上の所有名義人が原告であることや本件建物の建築年月日、間取りの概略、売価八億円で同銀行が一般媒介により売主名を伏せて売り出していたことなどを知っていた。

3  そこで、鈴木は、同月二四日か二五日頃、島田を交じえ、土屋に直接会って交渉を進め、その際、土屋は、「本件土地建物は自分が原所有者の原告から買い取ることになっている。一日も早く買って欲しい。早く取引したいので代金を安くする。代金は、一〇〇〇万円上乗せして、五億六〇〇〇万円にして欲しい。売買契約書の代金は七億一〇〇〇万円にして欲しい。七月一〇日に決済したい。原告に代金を支払わなければいけないが、それが七月一〇日になっている。」などと申し述べ、これに対し、鈴木は、取引を早くするなら手付金は安い方がいいと考え、五〇〇万円にすることを提案したりなどし、その結果、土屋と被告間の売買について代金を五億六〇〇〇万円とするが、契約書上には代金を七億一〇〇〇万円と記載し、また手付金を五〇〇万円にすることなどの方向で交渉が進展し、右交渉後すぐに、鈴木は、佐藤に対し、土屋との交渉結果を説明し、佐藤は、代金を五億六〇〇〇万円、契約書上の代金の記載を七億一〇〇〇万円にし、手付金を五〇〇万円にすることを承諾し、右条件で売買契約が成立しうる見込みとなった。

4  また、鈴木は、土屋との右交渉後まもなく、仲介人としての立場から、土屋を同道のうえ、原所有者の立場に立つ原告に直接に会い、「土屋から本件土地建物を買うことになったが、良いか。」と尋ねたのに対し、原告は、「よろしい。うちも自宅と事務所を建て替えるので早くお願いしたい。」と答え、原告が土屋に本件土地建物を売る意思があり、土屋が第三者に転売することを了解している意思を表明した。

5  その後、土屋が早く手付金五〇〇万円の支払を受けたい旨希望したので、同年七月二日に土屋と被告間の売買契約書を作成することに話が進められたが、同日は佐藤が所用で都合が悪く、さりとて極めて多額の売買取引であり、鈴木を代理人として契約を締結することも適当でなかったので、佐藤は鈴木に対して鈴木が買主として売買契約書を作成するように指示し、これに基づき、土屋と鈴木とは、同年七月二日、契約書上の代金七億一〇〇〇万円、手付金五〇〇万円なる売主土屋、買主鈴木という土地付建物売買契約書(甲八)を作成し、その際、鈴木より土屋に金額五〇〇万円の小切手が交付されたが、振出人は被告で、右手付金は被告が出捐したものであり、被告を買主とする契約書を後日改めて作成することが予定された。

原告は、同日、土屋から、右小切手又はそれを換金した現金五〇〇万円を受け取り、同日付領収証(乙一五)を発行し、土屋に交付した。

6  こうしたのち、土屋と佐藤とは、同月九日、直接面談のうえ、土屋が売主、被告が買主となり、代金五億六〇〇〇万円で本件土地建物を売買することを合意し、従前の経過にかんがみ、契約書上の代金を七億一〇〇〇万円と記載する土地付建物売買契約書(乙一)を作成した(同契約書記載の同月二日の日付は、土屋と鈴木間の前記売買契約書作成日に遡らせたものである。)。手付金五〇〇万円の授受も約されたが、鈴木が同月二日に土屋に渡した被告振出の前記小切手をもってそれに充てることとされ、改めて小切手や現金が授受されることはなされなかった。

右契約書に記載の代金七億一〇〇〇万円と実際の代金五億六〇〇〇万円との差額一億五〇〇〇万円は架空の代金の記載であったものであるが、土屋は、右契約書作成の際、その支払の請求を受けることを心配した佐藤側の要求に応じ、同日、一億五〇〇〇万円を領収した旨の架空の領収証(乙二)を作成し、佐藤に交付した。残代金は、同月一五日に、所有権移転登記及び引渡と引換えにされることが約定された。

7  同月一五日、被告の取引金融機関である八千代信用金庫大和支店に佐藤、土屋、鈴木、原告、原告の妻武藤京子らが一堂に集まった。席上、まず原告から同席の司法書士に本件土地建物の所有権移転登記及び原告が株式会社神奈川県相互銀行(現株式会社神奈川銀行)に対し設定していた抵当権設定登記の抹消登記に必要な書類が渡され、間違いがないと確認されたのち、被告会社代表取締役の佐藤は、土屋に対し、額面金額四億二四一〇万五〇〇〇円、一五八九万五〇〇〇円、一五〇〇万円の預金小切手三通(額面金額合計四億五五〇〇万円)を交付した。右一五八九万五〇〇〇円の小切手は、賃借人が原告に預託していた保証金相当額のものであり、この保証金は被告がその返還義務を承継することになったので、右交付後直ちに土屋から佐藤に対し、戻す形で引き渡された。佐藤は、残代金一億円について、土屋からの要望により、同日までに八千代信用金庫大和支店ではなく、被告会社の事務所で別途現金で支払うことを応諾していたので、その場では支払をせず、同支店での取引終了後、被告会社の事務所で支払うべく同支店に依頼して現金の用立てを手配中であった。佐藤が原告に会ったのはこの時が初めてであり、土屋と原告間の売買契約の内容を知らなかった。

こうしたのちまもなく、原告が佐藤の要求により、賃借人に対する貸主変更の通知書を作成の途中、土屋が挨拶もなく席をはずし、同支店を立ち去り、いなくなった。原告は、土屋から前記四億二四一〇万五〇〇〇円の小切手を受領していたが、もっと取得分がある筈であると考えていたので心配になり、土屋を探したが、見つけることができなかった。そうするうち、原告は、佐藤から、土屋が被告会社の事務所に来る予定になっていることを教えられ、佐藤が現金一億円の用意をした八千代信用金庫の係員と一緒に近くの被告会社事務所に行くことになったので、そのあとを付いて行った。

8  原告は、被告会社の事務所に入ったのち、先に到着していた佐藤の机上に現金一億円位の札束が並べられている光景を見て、右現金がこれからすぐにも被告から土屋に対して支払がなされる可能性が大きいことを察知し、佐藤に対し、「もっと、貰い分があるので、その現金を自分の方に払って欲しい。」旨求めたが、貰い分があるという金額は明言しなかった。これに対し、佐藤は、右現金は土屋に対して支払うものである旨返答し、原告の右要求を拒絶した。こうしたやり取りの間、土屋から佐藤に対して電話で現金一億円を他の場所に持ってきて欲しいとの要求がなされたが、佐藤はその要求を断った。原告は、らちがあかないので、まもなく被告会社事務所を出た。

9  佐藤は、その後の同日夕方、島田方において、島田、鈴木を交じえ土屋と残代金の支払問題を話合ったが、物別れに終った。佐藤は、その際、土屋から、原告との本件売買契約書(甲六)、原告の領収証写し(乙一五、一六)を示され、土屋が原告より代金四億四五〇〇万円で本件土地建物を買い受けたものである旨の説明を受け、右契約の事実を知ったが、前記裏金の説明は告げられなかった。

翌一六日、佐藤は、土屋の依頼した弁護士立会いのもと、土屋との間で、残金のうち八〇〇〇万円を支払い、その余の支払は留保することで合意し、その旨の念書(乙四)を作成後、同月一八日、現金八〇〇〇万円を土屋に支払った。

10  被告は、前記買受代金のうち四億五〇〇〇万円を八千代信用金庫大和支店から、本件土地建物を担保にして借り入れ、都合した。同支店では、昭和六二年六月二九日当時で、本件土地建物の価格を四億六八五〇万九〇〇〇円と査定していた。

そうして、以上の事実によれば、被告は、昭和六二年七月九日土屋との間で本件土地建物の売買契約を締結した時はもとより、同月一五日に残代金の大半を支払い、所有権移転登記に必要な書類を取得した時においても、原告と土屋間の売買が虚偽表示による仮装のものであり、また土屋の詐欺によるものであるとの事実を知らず、善意であったことを認めることができる。その善意であることに過失があり、保護に値いしないような事実は認められない。

したがって、原告は、本件売買契約について虚偽表示による無効、詐欺による取消をもって、善意の第三者の被告に対抗することができないというべきである。

五原告の重大な過失の有無

原告が土屋との間で本件売買契約を締結するに至った経緯の概要は前記三認定のとおりであり、右認定事実及び前記三冒頭掲記の各証拠によれば、原告は、土屋による転売代金引渡の意思に関する詐欺、錯誤に基づいて本件売買契約を締結したものであるが、かたわら、原告が本件売買契約を締結したのは、買主の土屋の代金支払能力を信用してなしたというものではなく、したがって、土屋の代金支払能力を調査、確認したようなことはなくして、土屋による同人発言の転売代金七億一〇〇〇万円の引渡を受けて代金の取得を期待しつつ多大な譲渡所得が生じて高率の税負担を課せられるのを免れるべく、売買契約書上の表向きの代金を比較的低額に抑さえるため、土屋との通謀により本件売買契約を仮装したとの面も併せ有するものであったうえ、前記四4認定のように事前に被告側仲介人の鈴木に直接会う機会もあったのに被告の買受予定金額を確認したり、代金の支払方法について土屋から預かっていた土屋名義の前記預金通帳の口座に振り込む方法を求めたりなどせず、土屋の言を鵜呑みにして、土屋と被告間の売買契約が締結される前の昭和六二年七月一日、漫然本件土地付建物売買契約書を作成して本件売買契約を締結し、その後、土屋と被告間の売買契約が締結されたのち、前記四認定のような経過の中で同月一五日に行なわれた取引に際し、自己の取得金額を十分に確認しないまま所有権移転登記に必要な書類等を漫然交付したとの事実が認められ、右事実によれば、原告は、数億円の価値ある本件土地建物の売主として要求される注意義務を著しく怠ったものであり、前記錯誤について重大な過失があったものと認めることができる。

したがって、原告は、被告に対し、要素の錯誤による本件売買契約の無効を主張することはできないというべきである。

六予備的請求の原因

原告との間で売買契約を締結した買主は土屋であると認められることはこれまでに認定したとおりであり、被告が原告と直接に売買契約を締結した買主であると認めるに足りる確たる証拠はない。

七結論

以上のとおり、原告の主位的及び予備的請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとする。

(裁判官榎本克巳)

別紙<省略>

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